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- 2009/04/01 ショッピングカートリニューアルしました
★SKULLGAME/スカルゲーム★
唯一者の奇跡の成就に当たりては、下なるものは上なるものの如く、
上なるものは下なるものの如し。
万物が一者より来り存ずるが如く、
万物はこの唯一者より変容にて生ぜしなり。
-錬金術の奥義ヘルメス文書「エメラルドタブレット」より-
ブランドコンセプトについて
人は死を迎えるにあたって4つの死を迎える。
「魂の死」
「肉体の死」
「本能の死」
「経験の死」その4つの死を考える中で浮かび上がってきたひとつのストーリーをモチーフに扱い、シルバーアクセサリーのデザインに落とし込むという、コンセプトを主軸に作品を展開するブランド、それがスカルゲーム。
造り出される作品は頑ななまでにゴツイものが多いが、それは、スカルゲームがシルバーアクセサリーを錬金術の一種と捉えている所に由来する。
錬金術と聞くと、鉱物を金に変えるよいうなにやら怪しいオカルトめいたものを想像する方も少なくはないと思うが、実はれっきとした崇高な学問であり、かの有名なアリストテレスやニュートン、レオナルドダヴィンチも錬金術師であったとい言われ、中世のヨーロッパでは科学よりも学問として上位に位置していたのである。
その錬金術が最終目的とするのが、「不完全なものを完全なものに近づける」という「賢者の石」を開発する事である。
存在を完全なるモノに近づける賢者の石とは?そして、近づける目標である完全なる存在とは?それについては様々な解釈があるとは思うが、皆さんは完全なるモノと聞いて何を思い浮かべるだろうか?多くの人は神様?と思い浮かべる事だろう。始めに断っておくが、スカルゲームの面々はキリスト教信者というワケではない。むしろ無神論者だが、錬金術において、科学的研究の下において人間を神に近づけるこという行為については大いに興味をそそられた。
さて、旧約聖書によれば、神は人間を自らに似せて作ったそうだ。って事は、人間はデフォルト状態で充分完全なる神様に近い存在って事だ。そう、そう、悪魔の王サタンも人間への嫉妬心から神様へ反逆したほどだ。なのに人間は必至な形相で「神様、神様」って拝んだりする。って事はデフォルトの状態でも人間は完全に近い存在だといえるスカルゲームは「心の豊かさを求める事」だと考える。
スカルゲームのファンでいてくれる方々から頂いた多くの声から感じた事だが、多くのスカルゲーマーは目の肥えたシルバーアクセサリー上級者が多い。もう既に沢山のシルバーアクセサリーを多数所持しており、何かもっと今までに無い作品を探している方々である。
そんな方々からいただく声のほとんどは、こんな馬鹿げたくらいにごついアクセサリーが欲しかった!というものだ。
シルバーアクセアリーはあくまでもサブカルチャーであり、別に無くても生活には出来るし、生きていくにも困らない。しかし、自分を表現するという点においてシルバーアクセサリーはこの上ない自己表現のツールになると考えている。
その自己表現こそがスカルゲームの提唱するテーマメメントモリなのである。
メメントモリとは死というものを考え、生を噛み締め繰り返す当たり前の日々を感謝するという思想である。
人は毎日多くの困難に出会う。人は普段自分が死ぬとは考えない。それは「生きているのが当たり前」だと考えているからだ。しかし、もしかしたら今日を無事に生き抜けないかもしれない。そして、その可能性は常に自分の周りを取り巻いているずだ。例えば、洗面所で足を滑らせて、ゴルフ場で飛んできたボールにぶつかって、車の運転で、脅すつもりは無いし、そんな事を考えてばかりでは生活はできない。
しかし、人生は驚くほどあっけなく終焉を迎える事がある事を意識の片隅に置き日々の「生」に感謝する事はとても大切な事だ。
脳科学に、タイムプレッシャーという言葉があるが、人は「ある期限内に○○を行わなければならない」と時間的拘束を与えられた方がパフォーマンスが上がるらしい。
ならば、日々を漫然と生きるよりも、今日一日を生きる事で自分の行うべき事は自ずと決まって来るのだと思う。
では今日一日を生きるとは何か?
それは人それぞれ定義が違うが、スカルゲームが定義するのは「個人としての生き方を尊重する」という事である。
人は、生物学的には子孫を繁栄させれば用済みだ。しかし、それでも人生は続く。嬉しい事があっても、悲しい事があっても人生は続く。では、その人生のなかで人として生まれたのは何故か?生態系の頂点と言われる人に生まれた理由。べつにボツリヌス菌に生まれてもおかしくは無かったハズなのに・・・そこに人生の意味があると考える。
スカルゲームはあくまでもスカルゲームが「面白い」、「造ってみたい」と心から想う作品だけを造る。
中国の孔子が、「これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」という言葉を残しているが、知るより好きが良く、また好きより楽しむ事が良いパフォーマンスを生み出すという事だ。
楽しむ事がスカルゲームにとっての自己を求める行為であり、またスカルゲームの作品を星の数ほど多くあるシルバーアクセアリーの中から選んでくれた方々にとっても、流行でも時流でもなく自己を表現するツールとしてふさわしいと判断し、スカルゲームの作品を選んでくださっているはずである。
何故なら、スカルゲームの作品は流行ではない。また保守的な「さりげないアクセサリー」でもないからだ。流行や時流に乗りたいならば、もっと小さくして、リングの質量も限界まで削ってしまえばいい。しかしそれをしないのは、スカルゲームの活動目的が、あくまでも「心の豊かさを求める事」であるからである。
「心に豊かさ」を求めるには自分自身にへの偽りを抱いた状態ではたどり着く事は不可能である。
したがって、自己に正直に造り上げた作品と、それを見て、自分自身を表現するツールに値すると判断していただけたという事は、スカルゲーマーの方々の自己を表現する役目を担う事を手伝う事ができ、かつ心の豊かさを求めう手伝いができているのではないであろうか?と考えられる。
些細な、本当に微力なものではあるが、その精神の動きは、やはり錬金術の目的である「精神の浄化」につながっていくとスカルゲームは考える。
そしていつもスカルゲームが言っているのは、応援してくれる方々がいるからこそスカルゲームは存在できる!という事である。商業ベースではないと言えども、それを支えてくれているのは、一番にスカルゲームのファンの方々であり、次にメンバーである。
本当にスカルゲームを愛していただいている方々のために、あくまでも馬鹿げたほどにごついシルバーアクセサリーを!
スカルゲームに作品を造る機会を与えてくださる皆様に最大限の感謝を込めて・・・。